1. 倭寇について考える⑨―多島地域を海から見ると―

倭寇について考える⑨―多島地域を海から見ると―

最終更新日:2024.04.25

(前回からの続き)
 当館には19世紀前半に描かれたとされる『渡閩航路圖』という、那覇から福州琉球館までの航路を描いた絵画史料があります。この史料には慶良間諸島の島々も描かれていますが、我々が見慣れている地図のような上空から見た島の形ではなく洋上から見た島影の形が描かれています(写真1)。琉球王国時代には島の形は島影として認識されていたことが分かります。それと慶良間島、渡嘉敷島、阿嘉島といった有人島だけではなく小さな無人島や岩礁までも描かれていることに気付かされます。これは船舶の針路を示すポイントとして小さな無人島や岩礁を描いるためで、うっかり見過ごしてしまうような岩礁や無人島も位置によっては重要視されていたことが読み取れます。
 今回は洋上から慶良間諸島の島々を見る機会があった体験を中心に触れていきたいと思います。

  
写真1 『渡閩航路圖』の阿嘉島、慶留間島の部分

 

1.待望の『琉球と倭寇のもの語り』関連催事を実施する

 令和6年3月23日に阿嘉島で行われたミニ企画展『琉球と倭寇のもの語り』関連催事で「慶良間諸島の自然と歴史を海上から見てみよう」を当館の宇佐美賢学芸員と共に行いました。このフィールドツアーは阿嘉港を出発して阿嘉島を時計回りに1周、そして慶留間島の東海岸の一部に寄って阿嘉港へ戻るというコースでした(写真2)。所要時間は100分ほどで、参加者は15名と定員を満たし、そして阿嘉島在住の方が大半を占めていました。他方で沖縄本島から参加する強者もいらっしゃって、主催者側としてはその熱心さに驚きを隠さずにいられませんでした。
 
写真2 今回のフィールドツアーコース(赤矢印) 写真3 洋上から見た慶留間島(左)と阿嘉島(右)
 
 当館では洋上でのフィールドツアーが初めての試みであることから様々な心配を抱えていました。とくに開催日の天候が心配の種になっていましたが、幸い当日は快適な天気の下で晴れやかに出航することができました(写真3)。
 阿嘉島の地形や周辺の島々の遠景、そして阿嘉集落や座間味集落を洋上からはっきりと望むことができました。中でも陸側からいつも見ている阿嘉島の積グスクの風景を洋上から初めて見ることができ、その峻険な岩塊を取り込んでいるグスクの姿を間近に見ることができてとても感銘を受けました(写真4)。洋上で慶良間の島々の特徴や歴史的な背景、島の成り立ちなどを紹介して楽しい時間を過ごしておりましたが、あっという間に予定の時間となってしまいました。
無事に阿嘉港に寄港した直後、参加者の方々も皆一様に満足されたように映りました。
 
写真4 洋上から見た積グスク
 

2.洋上から見た島々の形

同船した宇佐美学芸員は阿嘉島、慶留間島の地層が分かる急崖を興奮気味に見入っていた一方で、『渡閩航路圖』に見る慶良間諸島の島々の姿が洋上から実際にどのような島影として確認できるのか、筆者は常に気を払っていました。慶良間諸島はかなり複雑な海岸線を持った小さな島々で成り立っており、また標高200mを越える屋嘉比島や久場島(写真5)、渡嘉敷島があります。このような多島地域であることから周辺海域は外海と比べて波が穏やかであり、小さな入り江や湾が多く見ることができます。これらのことを含めて考えると琉球王国が中国・明朝との交易を始めて以降、慶良間諸島周辺海域を進貢船が風待ちや波待ちとして利用してきたことが史料から見えることも、当然のように感じられます。
 更に高い山が聳えている島々の景観が慶良間諸島にはあることから、進貢船は針路を定めて航行することができたという、航海する側の利点があったことも想像できます。そのような目で冒頭に触れた『渡閩航路圖』に描かれている島々を改めて見るとまた違った印象を受けるかと思います。
  
写真5 屋嘉比島(左)と久場島(右)の遠景

3.慶良間諸島の人々が果たした歴史的な役割

 琉球王国の進貢船には多くの人が乗船していましたが、その中で慶良間諸島出身者が船を操るスタッフである水夫として琉球王国から任命されていました。この役目に就くことは名誉なこととされ、それと同時に中国大陸へ赴いて現地にて商売ができるという役得が付いていました。また、琉球王国が慶良間諸島の人々を水夫として任命したのは船を操れる技術に長けていたという点にあったと思われます。
 慶良間諸島は多島地域であり(写真6,7)、島に住む人々は島々を往来する際には船を使っていたこと、また島の地形が険しく且つ平地が少ないため農耕地が十分に確保できないことから漁業に従事する人々が多かったことで、慶良間諸島の人々は基本的に船を操ることに長けていたと思われます。
 以前にこのコラムで紹介した福建省沿岸部でも海岸線が複雑で波待ちできる入り江や周辺には小さな島々が点在していること、それを活かして漁業に従事する人が今も多くいるという点では慶良間諸島と共通していると言えます。そのように考えると、多島地域に住む人々が、国家が主導する外交政策の枠組みへと入っていった琉球と、国家の外交政策に反発して倭寇としての活動へ身を投じていくといった中国大陸沿岸部とは非常に対照的であると言えます。
      
写真6 慶良間諸島の島々(久場島、阿嘉島、慶留間島、外地島)  写真7 慶良間諸島の島々(儀志布島、渡嘉敷島、座間味島)

4.大いに学んだその先には

 今回の「慶良間諸島の自然と歴史を海上から見てみよう」というフィールドツアーからは学べることが山のようにありました。そこにはまだ知らない海の世界が広がっていることを知ることができました。と共に、これまでに見たことのない視点から新たな側面に気付いてけることの大切さも感じ取ることができました。
 最後ではありますが催事の開催にあたって様々な面で協力を頂いた環境省慶良間自然保護官事務所の職員の皆様には文末でありますが感謝申し上げます。

最後に、

◎展示情報

冒頭に紹介しました『渡閩航路圖』ですが、当館にて期間限定公開を行います。
展示期間:令和6年6月11日(火)~30日(日)
展示場所:当館常設展示の歴史部門展示室
料金:常設展示室への入館料


 

主任学芸員 山本正昭

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